宇宙の進化の根源力 ---すべてはカントのコペルニクス的転回から始まった。
フィヒテの観念論 | シェリングの自然哲学 |
1.自我定立。「我あり」宣言によって我が我を生み出す。思惟そのものにより自己を生む。自我(仏教の自我とは異なる)が現出する様子(オレンジの球)。自我は絶対的な能動性である(絶対我)。 |
5.絶対者、無制限者は原理上認識のかなたにあるためここでは暗く表現する。絶対者は自己を創造する。図は絶対者内部に球を創造したように書いたが、外部(上部)を想定している。これは自然の「質料」となる(右の球)。 |
2. → 自我の運動、思惟により、非我(緑の球)が対立する。これにより自我は己の有限性を悟る。非我によって制約された小我へのアイデンティティを捨て、自我と非我を統一する高次の自我を定立する。 | 6.創造によって、絶対者は「絶対」ではなくなった(左の球)。矛盾の解決のため、絶対者(この時機には主体的な精神)は有限者(質)を包含しようと、一方有限者は絶対者へ戻ろうと運動を開始する。但し全ての時機に不変の絶対者は存在し続けている。 |
3.← 認識力を高めた自我に対して非我が対立。再度、自我は弁証法的に統合をつづけ、非我もまた己の産物と悟り、絶対我を目指し成長してゆく。自我は絶対我を理念として運動する。 | 7.同様に、矛盾の解決は不断に続く。弁証法的に自然は精神の光を帯びて、物質は生命へとポテンツを高めてゆく。自律的に進化する自然のモデル。 |
”非我と対立している間、逃げている間は成長しない。 葛藤している自我と、対象の非我を包み愛することでそれを乗り越えてゆける。その最大の力は、より高次な自我、神を理念とする自我、その先の神を愛すること、信仰が最大の力である。” |
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8.この主体的な自然の精神(能産的自然)と質とが、自然界の両極性(+−、磁極、性など)の根源で、両者の拮抗する境位の空間(図では面)が、三次元自然界(所産的自然)となる。自然の中の多様性、階層性はこの両者の混合の比率による。 |
ヘーゲルはこれらの関係を体系的に完成させた。
生物進化への理解 自然は絶対的精神が自らを客観化したものであり、その歴史である。 創られたものは、また創るものであり、主体的な生命である。 生命は主体的に進化する。 |
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8.の図。主体的自然と質的自然との拮抗する空間に三次元世界が広がることをみた。銀河系、太陽系などの宇宙の構造も、この両者の力の入り混じる渦として顕れるため、諸行は無常でありつつ、真善美なる精神の似姿をしている。 現代物理の用語を借りれば、主体的自然とは「場」あるいは量子化してボゾン(フォトン、グラビトンなど)、質とは、物質を形成するフェルミオン(クォークなど)と考えられるのでは(あるいはダークエネルギーやダークマター)。ただし、物理学では当然精神性、合目的性などは射程から外してある(この書き方は逆であって、精神性を取り去った世界をデカルトの自然哲学が供給したからこそ物理学が発展した)。 |
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地球も、同様。 そして、下図の雲(右上);無機物、青い花(中央);植物、ネコ(左下);動物も精神と自然の産物。自然の精神の中に、各理念があり現象を主体的に導いている(下図)。図の右ほど、質的領域の比率が(縦軸に沿って)多く、左へいくほど精神的比率が多くなる。世界は大きく、物質法則の支配する自然、電磁気・化学親和力が支配する自然、生命の世界と階層化されている。宇宙は、前者から形成されるが、形成以前にすでに高次の生命理念は存在している。 |
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さて、語源的にも「種=理念」であるように、生物の種とはこの次元にしか存在しえない。我々が身体を通して認識できる生物は三次元世界の個体にすぎない。「種」の三次元的投影が、今西錦司の発見した「種社会」である。生物の進化は、偶然ではなく、この理念的種の弁証法的運動によって展開する。 このため、進化は合目的的であり、個々の種も元は一つの生命の発露であるように理念のうちに調和的である。 |